監督:ケビン・レイノルズ
原作・脚本:ウィリアム・マストロシモーネ
出演:ジェイソン・パトリック(コベチェンコ)
スティーブン・バウアー(タジャ)
ジョージ・ズンザ(隊長)
スティーブン・ボールドウィン(ゴリコフ)
ドン・ハーベイ(カミンスキー)
エリック・アヴァリ(サマッド)
ハイム・ジェラフィ(ムスタファ)
カビール・ベディ(アクバール)
一方、その戦車には5人のソ連兵が乗っていた。隊長は、8歳の時にスターリングラードの守りについていたと言う、根っからの戦争屋にして異様なまでに戦車に情熱を持ってる異常者。部下は、敵を殺すのをなんとも思っていないが自分の命は惜しい若い兵士カミンスキーとゴリコフ、この戦争に疑問を持ち始めている節のあるメガネを掛けたインテリ風の若い兵士コベチェンコ、アフガン人でありながら変革を拒む自国に幻滅し、ソ連兵となったサマッドの4人。
行軍の途中、隊長が「裏切り者に違いない」という事でいきなりサマッドを射殺した事で、コベチェンコは隊長に暴言を吐き、日誌に全てを記録すると息巻く。その後、やはり裏切り者扱いされたコベチェンコは、岩に縛り付けられ、頭の下に手榴弾を置かれた形で放置される。
そして、そのコベチェンコの元にタジャ達が通りかかる。ムスタファ達はすぐに殺そうとするが、コベチェンコは、生前にサマッドに教わったアフガニスタンに伝わる名誉ある規律パシュトンアリの一つ、「懇願されたらどんな相手であれ許さなければならない」という意味の言葉「ナナワテ」を唱えた。
それによりタジャは、「これも神のお導き」と解釈し、コベチェンコを助けるのだった。そして、お互い言葉の分からない者同士だが、どうにかコミュニケーションを取り合い、ムスタファの乱暴な扱いで壊れたRPGを修理し、今度はそのRPGを使ってコベチェンコが戦車を破壊する、という約束をするのだった。
(感想)
ソ連がアフガンに侵攻している頃を舞台とした戦争アクションです。ソ連兵の良心こと主人公コベチェンコを、『スリーパーズ』『スピード2』でおなじみのジェイソン・パトリックが演じています。実はこの人、ハゲてないとそこそこいい男ですね。
そんなジェイソン=コベチェンコ含むソ連兵達が乗る戦車を、村を破壊されたアフガン人達が復讐の為に追って来ます。ちなみに、ラクダや馬などに乗らず、走って追って来ます。凄い体力と持久力です。
で、この追走劇及び、戦車隊の兵士のドラマがこの映画のメインの展開となります。主人公はコベチェンコですが、追う側であるアフガン人タジャも、この映画のもう一人の主役のような描かれ方をされます。
戦争の醜い所を描いてはいるものの、アフガン側の描写が中途半端だったり、ソ連人がみんな英語を喋っていたりと、もともと「崇高な戦争映画」として製作されたものではなさそうですね。社会的、政治的な見地から見ようとしてもこんがらがるだけなので(これについて語れるほど詳しくも無いし)、もっぱら「悪の帝国に侵略されている国が舞台で、悪の帝国に属する事に嫌気の差した男が、レジスタンスに協力する。」という内容の映画と思って見てました。そう思うと、ちょっとばかしファンタジックな匂いのするストーリーです。
この映画の“敵”となるのは、「ソ連という国全体」という感じではなく、一人のイカれた軍人です。そしてソ連兵達は、“悪魔”なんかではなく“人間の兵士”として描かれていました。いい奴もいれば悪い奴もいるという感じです。
その、一人のイカれた軍人とやらがこの戦車隊の隊長で(名前忘れた)、あらすじに書いたように「8歳の時にスターリング・ラードの戦いに参加していた(兵士としてではないんでしょうが)」というのが自慢で、さらに戦車というものにこの上ない愛着と誇りを持っていて、どんな事があろうとも戦車を捨てるという行動は決してとりません。
この頑固な戦争屋である隊長を通して、戦争の愚かさ醜さを描き出すのかと思いきや、どうやらただの悪役のようでしたね、こいつは。それも、悪役の中でもかなりイヤな奴の部類です。あまりにイヤな奴過ぎて、戦争の醜い部分の象徴というより、アクション映画の倒すべき敵というふうに見えてしまいました。でも、そう見えるだけで、『ランボー3』みたいな“戦場アクション”みたいな作りにはなってないので、ラストはコイツを倒してハッピーエンド!となるわけではないんですよね。まあ、だいたいそれに近い感じのラストでもあるんですが。
たまに「反戦映画」っぽい感じが見え隠れする事もあるものの、戦場アクション映画っぽい感じも見え隠れしていたりして、この映画がどういうテーマのものなのか、見ていてよく分かりませんでした(何回か見れば分かりそうですが、そう何度も見たくなる映画でも無い・笑)。
この映画、戦車を破壊するのが最終目的だったり、アクションシーンで繰り広げられるのは戦車アクションのみだったりと、やたら戦車にこだわった作りになっています。多分、この戦車が「悪の象徴」みたいな意味合いもあったりするんでしょうね。原題は『ビースト』ですが、アフガン人はこの戦車(とその乗員)を「ビースト」と呼んでいましたし。
そして、その戦車アクションシーンでは、戦車の砲撃と爆破が同一画面の1カットで映されたりと、かなり迫力がありました。冒頭の村の襲撃シーンはもうバッカンバッカンやってましたからね。罪も無い人々が虐殺されてるシーンでもあるんですが、戦車アクションがあまりに迫力があるので、ついつい喜んでしまいがちです。
ですが、その後にはかなり残虐なシーンを出して来たりして、この映画がただのミリタリー・アクションでない事もアピールします。
アクションの迫力度では、この冒頭のシーンが劇中最高で、後はドラマメインな展開となります。ただ、ラストはソ連人のコベチェンコが、アフガン人のタジャと二人で戦車を追撃するという燃えるシチュエーションのアクションシーンが出て来ます。まさに、国境を越えた友情です。
そしてラスト数分は、RPG(ロール・プレイング・ゲームの略、、、ではありません。ロケットランチャーみたいな兵器の名前です)を抱えたコベチェンコがとにかく、戦車を追って走って走って走りまくります。
この映画のストーリーの一つの見所として、主人公のソ連人コベチェンコと、アフガン人タジャの関係というのがあります。隊長に岩に縛り付けられたまま放置されたコベチェンコを見つけたタジャは、まわりのみんなが「殺せ!殺せ!キル!キル!」と騒ぐ中(注・劇中のセリフはこんなじゃありません)、コベチェンコを殺したりせずに、言語の違いから言葉が通じないにも関わらず、コミュニケーションをとろうとしてきます。
なぜタジャはコベチェンコを殺さなかったのかと言うと、コベチェンコが「ナナワテ」という言葉を発したせいでした。
アフガンの地に伝わるものなのか、イスラムの教えなのかよく分からないですが、名誉ある規律パシュトンアリの3つの義務というものが重要なキーワードとして出て来て、一つは歓待という意味のミルマスティア、次は復讐の意味のバダル、そして最後が「ナナワテ」で、意味は、懇願されたら相手を許す義務というものです。
ただ、この二人の関係がまた、何ともよく分からないものなんですよね。普通ならここで友情が芽生える様を出したりすると思うんですが(コベチェンコがアフガンに残ったりするとか)、コベチェンコの方は最後、タジャ達の制止を無視して、ソ連の救助ヘリのロープに捕まって帰って行ってしまうんです。
結局、この映画のストーリーは、我々に何を訴えたかったんでしょう?