監督・制作・脚本:ジェーロズ・キャメロン
製作総指揮:ゲイル・アン・ハード
マリオ・カサール
特撮:デニス・ミューレン
特殊メイク:スタン・ウィンストン
音楽:ブラッド・フィーデル
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー(T−800型ターミネーター)
リンダ・ハミルトン(サラ・コナー)
エドワード・ファーロング(ジョン・コナー)
ロバート・パトリック(T−1000)
ジョー・モートン(マイルズ・ベネット・ダイソン)
アール・ボーエン(ドクター・シルバーマン)
ジャネット・ゴールドスタイン(ジャネル・ボイト)
ザンダー・バークレイ(トッド・ボイト)
91年の現代。ジョン少年と合流したターミネーターは、無敵の液体金属ボディを持つ新型ターミネーター、T−1000と死闘を繰り広げつつ、ジョン少年の命令の元、精神病院に収容されていたジョンの母親サラを救出する。
そして、機械側が人類のリーダーを過去の世界で葬ろうとしたように、機械側のリーダー、スカイネットをこの時点で潰して、97年に起こる事になっている「審判の日」こと、スカイネットによる核攻撃を阻止しようと試みるのだった。
(感想)
公開当時はこういう大型のアクション大作映画なんてあんまり無かったんで、初めて映画館で見た時はかなり衝撃的でしたね。
そして、CGをアクションシーンに大きく絡めてきた最初の映画という事で、まさに「これまで見た事の無かったような映像」のオンパレード。ストーリーのスケールのデカさ、全盛期のスターパワーを如何なく発揮するシュワと、当時は「映画界の王」みたいな風格が漂っているのが感じられたものでした。
その衝撃のデビューから多くの年月が経ち、映画界ではさらにデカいスケールの超大作が次々と現れてきているので、当時感じていたような「ありがたみ」はもはやすっかり失せてしまいましたが、「あの当時に感じたインパクト」というのは記憶にしっかり残っているので、今では「古典的名作」みたいな存在になってきた感がありますね。
ただ、実は、一見スケールがデカそうに思える話ですけど、よくよく考えると物凄く狭い範囲でストーリーが進行してるんですよね(移動した距離はなかなかのものではあるんですけど)。敵は一体だけですし、低予算の前作からそれほどスケールアップしてるわけではないんです。
それでも、最近の世界規模の話の映画と比べても遜色無いスケールのデカさが感じられるのは、やはり監督ジェームズ・キャメロンの力量によりところなんでしょうね。同じような内容である『3』がやや小ぢんまりとした感があったのを思うと、「どういう展開と映像を出せば、話にスケール感が出せるか」というのがよく分かっているんでしょう。人々が大作映画に真に望んでいる、「この規模の映画ならではの、見た事も無いような映像」をしっかりと出していましたからね。
今となっては、そういうものは、CGさえ使えば簡単に作り出してしまえるものですけど、そのCGを「どこで、どう使うか」というのが重要なのは今も当時も変わっていません。この映画で使われてるCGは、T−1000のエフェクト部分のみなんですけど、このT−1000の存在自体が、最近のCG技術で描かれる変幻自在のCGキャラよりも物凄い存在のように感じられるような使われ方がされているんですよね。
いわゆる「凄い映像」というものは、ただその場で映されている見たままのものというだけで終わってはダメなんですよね。ただ派手な場面を見せるだけでなく、ストーリーやキャラクター等、色んな要素が絡んだうえで映されるからこそ凄いと感じられるんです。
結局、大作映画に本当に必要なのは、デジタル技術よりも、監督の映像センスの方になってくるんだなという事が、この「大作映画の古典」を見るとよく分かりますね。