監督・共同脚本:ルチオ・フルチ
出演:ララ・ナツィンスキー(エバ・コーネル)
ジャレッド・マーティン(ロバート・アンダーソン医師)
病院でキャシーの担当であるアンダーソン医師に、エバを使って近づこうとするキャシー。だがエバは、持病のノイローゼのせいか、時折ヒステリックな行動を見せていたため、寮から追い出され精神病院に入れられてしまう。
エバがいなくなると、アンダーソンはエバと同室だったジェニーと付き合い始める。ジェニーは唯一、キャシーにした事を悔やんでいる学生で、これまで殺害の対象には入っていなかった。だが、“アンダーソンを奪った”という事で、殺害リストに乗ることとなってしまう。
アンダーソンを訪ねに病院に来たジェニーを怒霊界パワーで死体安置所に導き、エバを使って刺し殺そうとする。だが、まさに殺されかかる寸前でエバはバッタリと倒れてしまった。誰かがキャシーの生命維持装置を外したのだ。
その人物は、キャシーの母親、掃除婦のメアリーだった。
(感想)
女子寮を舞台に、いじめが原因で昏睡状態となった学生が怨念で復讐をする、というお話しです。ちょっと怪談話っぽい雰囲気があるんですが、呪ってくる人物が“死んでない”というのは珍しいですね。そのせいか、本人が化けて出るという事をしないので、心霊物とは趣が違う展開になってます。
それにしても、この『怒霊界エニグマ』って邦題は何なんでしょう。何か、怖くて気持ち悪そうなタイトルですが、内容はいたって地味な怪談系ドラマです。いわゆる、名前負けってやつでしょうか。
この映画で死ぬ人々は、「誰かに殺される」ではなく、「呪いによる怪死」となります。で、その呪ってくる人物が、いじめが原因で昏睡状態となったキャシーなのですが、同時に、エバという編入生を操ってもいます。どうやらキャシーは、精神だけを寮に飛ばすということが出来ないらしく、殺す相手を見定めたり、その相手のいる場所を探すのにエバの体を使っているようです(ただ、このルールは必ずしも守られるわけではないっぽい)。
なので、エバ=キャシーという事なのですが、エバには元の自分の人格も残っていて、時折、自分の行動や言動に戸惑ったりしてます。いわゆる、「取り憑かれた」というやつでしょうか。ただ、なぜエバが選ばれたのか、キャシーはどこでエバの存在を知ったのか、そういった事には一切触れられません。まあ、この辺は監督がフルチという事で、「まあ、いいか」で済ませていい所だと思います。
殺風景な病室でたくさんの管に繋がれた状態のキャシーも時折映されるんですが、これがまた、何とも不気味です。見た目も不気味ですが、怒霊界パワーで殺人を行っているとき、「ニヤリ」と笑うところが気持ち悪いです。
犠牲者の死因が「呪いによる怪死」と上で書いたように、キャシーに取り憑かれているエバが殺人をするわけではないんです。殺害は、キャシーの「怒霊界パワー」によって行われるんです。
ちなみに、あらすじから「怒霊界パワー」という単語を使ってますが、劇中、そんな字幕は一切出ません。私が勝手に考えた言葉なので、あしからず。
では、その恐怖の「怒霊界パワー」とはどんなものなのか。
まず、最初の犠牲者、マッチョ教師のフレッドは、鏡から飛び出して来た自分自身に首を締められて殺されました。
次の犠牲者オニールは、夜寝ている時(なぜか裸で寝てる)、息苦しくて目を覚ましたところ、体中にカタツムリがビッシリ張り付いていた!というもの。その後、カタツムリの一匹が口の中に入っていって、窒息死させられます。
ちなみに、ここでオニール役の女優は実際に大量のカタツムリを体にくっつけてます。いやぁ、凄い根性です。しかも、最初はそんなに大量ではなかったんですが、カットが変わるたびにどんどん数が増えていって、しまいには本当に体中ビッシリカタツムリという状況までいきます。顔もほとんどカタツムリに埋もれて見えないぐらいです。当然、このシーンはとっても気持ち悪いです(笑)。多分、この映画中で最も気持ち悪いシーンでしょう。そのせいか、これがメインの見せ場という事で、ビデオのパッケージでも使われてるようです。当然、「なぜカタツムリなのか?」という所に深い意味はありません。多分、脚本を書いてる最中のフルチの昼食か何かでエスカルゴが出たんでしょう(勝手な推測・笑)。
次の犠牲者グレースは、夜の美術館に落とし物を探しに来たところ、突如動き出した石像に首を締められます。
その前には、絵画の中の腕が急に動き出して、絵の中の腕を切り落としたら、本物の腕がボトッと落ちてくるというショックシーンもありました。このシーンはかなり不気味で良かったですね。その後に、絵から血が滴り落ちてくるところもとっても気味が悪かったです。
最後の犠牲者となったキムのケースは、夜、隣で寝ている彼氏のトムに被さってるシーツをめくったら、何とトムの首が無くなっていた!という所から、窓からノイローゼ気味に飛び降りて死亡、となります。
この時、キムはまず部屋から逃げて隣の部屋に行ったのですが、ドアを開けると中は今自分がいたのと同じ部屋で、トムの首無し死体がバーンと映されます。悲鳴をあげるキム。
で、この一連の行動がこの後数回に渡って繰り返されます。まるで馬鹿の一つ覚えみたいに、別の部屋に行っちゃあ、トムの首無し死体を見つけて悲鳴を上げるという行動を繰り返すんです。何か、ここはちょっとコントっぽいです(笑)。
ちなみに、トムは本当はまだ生きていたのですが、結局、窓の下のキムの死体を見つけたところで、窓のシャッター(?)が下りて来て首を切り落とされます。
と、このような愉快な殺戮ショーが定期的に挿入されてきます。
ですが、カタツムリのシーンは気持ち悪いものの、いつものフルチ映画と違って“グロさ”がかなり足りないです。ストーリーが比較的意味の通じる話だったというのも含めて、これまでに見たフルチ映画とはちょっと趣が違う感じでしたね。
最後、キャシーの凶行を止めたのが、これまで共犯かと思ってたキャシーの母親というのも、理解出来る範囲内の捻りでした。この母親も、キャシーをあんな目に遭わせた連中への恨みはあったんでしょうが、さすがにやり過ぎだと思ったんでしょうね。
余談ですが、カタツムリのシーンの前に、その予兆として、オニールのベッドがカタツムリまみれになっていたというシーンがあります。で、オニールは人を連れてくるんですが、戻ってみるとカタツムリはキレイに消えてしまってました。ですが、カメラが壁に貼ってあるポスターの方に寄っていくと、そのポスターに張り付く一匹のカタツムリの姿が映されるんです。
で、このポスターが何と『ロッキー4』だったりします。まさかこんな映画でスタローンのアップが見られるとは(笑)。
ちなみに、別のシーンでは『トップガン』のトム・クルーズも出ます。当時の2大スターというわけですね。で、二人とも「ああ、あの頃はこんな人いたな」みたいな扱いではなく、この後30年以上に渡って現役スターで有り続けてるというのが凄いですね。