監督・共同脚本:ルチオ・フルチ
音楽:ファビオ・フリッツィ
特殊メイク:ジャンネット・デ・ロッシ
出演:カトリオーナ・マッコール
デビィッド・ウォーベック
サラ・ケラー
ヴェロニカ・ラザール
アンソニー・フリーズ
(感想)
ゾンビ映画ファンの間でも、『サンゲリア』と並ぶルチオ・フルチの最高傑作と言われる名作。あるいは迷作。
はっきり言って、ストーリーが意味不明な事このうえなしです。恐らく、全フルチ映画の中でもトップクラスの難解度なんじゃないだろうか。いや、全部見てるわけじゃないんで、もっと手強いのもあるのかもしれないですけど。
地獄の門の上に建つ廃ホテルで怪現象が続発する、いわゆる、『悪魔の棲む家』のような、「家モノ」系の映画っぽい展開を見せるんですが、その怪現象っぷりが異常です。
序盤、地下室の水漏れを直しにきた水道屋が、地下室で謎の手(?)に目玉をえぐられて死亡。改装の手伝いをしてるらしい謎の女が水道屋を探しに地下に降り、彼の死体を発見。
ここまでは普通の展開ですが、ここでなぜかもう一体、謎の腐乱死体が水溜りから浮かび上がってきます。この死体、水道屋の死体と共に病院の安置所に運ばれるんですが、その死体を調べた医者曰く「60年前の死体にしては新鮮だ」とのこと。
この死体、蘇るとか何かしでかしそうですが、結局最後まで動かないままだったりします。
盲目の謎の女が登場し、主人公にホテルの秘密を打ち明けます。実はこの女、一度地獄に行ってたらしいんですが、結局謎のまま盲導犬に噛み殺されます。
「エイボンの預言書」という書物が度々出てきて、いかにも物語のキー的アイテムと言わんばかりなんですが、結局これも何だかよく分からないままです。
オープニングの1927年のパートで、磔にされて殺された謎の男シュワイク(ビデオのパッケージの磔死体はこいつ)。劇中、こいつがさも元凶みたいな感じの扱いなんですが、このオープニングの段階では、「ここは地獄の入り口だ。救えるのは俺だけだ」みたいな事を言ってたりします。
以上、不明な点を多々残したまま、ラストは病院にゾンビが溢れ返ります(特に伏線もなく)。
主人公の女と、知り合いの医者は二人でゾンビの追撃をかわしつつ、地下室まで逃げ込みます。すると、なぜか病院ではなく、ホテルの地下室に出てしまいます。訳が分からないまま地下室を進むと、あら残念。二人は地獄に入ってしまうのでした。入ってきた通路も消え、寒々しくも絶望的な景色が広がる場所に取り残された二人。二人の目は何故か、謎の盲目の女と同じ目になっていた。
そして消える二人。で、エンドクレジット開始。・・・って、終わりかよ!(笑)
まさに絵に描いたようなバッドエンド。そしてここで流れる、絶望感満開の名曲「ビヨンドのテーマ」(そんな曲名かは不明)。
監督のフルチは共同脚本も務めていますが、本人はどういう意図でこの意味不明なストーリーを書いたんでしょう?
そして、こんな意味不明な映画がどうして「フルチ最高傑作!」なんて言われていたりするのか。これが私にもよく分からなかったりします。そもそも、この映画自体が面白い映画なのか、いい映画なのかもよく分からないですし、初見時なんかはただ意味が分からないだけで、何でゾンビ映画ファンがこの映画を有難がっているのかもよく分かりませんでした。
でも、2回3回と見ていくと、この謎のストーリーの中で謎の怪死事件が続いて、最後の締めにゾンビ大登場!そして地獄行き!バッドエンド!バンザイ!というこの一連の流れが「何か、いい!」とか思えてくるんですよね。
多分、考えないで感じる映画、という事なんでしょうね。イメージ的には、芸術映画界隈とかに行けばこんなのがゴロゴロありそうな気もします。そう考えるとアート映画界はまさに魔窟ですな(どんな偏見だ)。