監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ
特殊メイク:トム・サビーニ
音楽:ゴブリン
出演:デビッド・エンゲ(スティーブン)
ケン・フォリー(ピーター)
スコット・H・ライニガー(ロジャー)
ゲイラン・ロス(フラン)
(感想)
ゾンビの蔓延し始めた世界を舞台に、生き残った人達のサバイバルを描いた映画です。
何だか、この設定からしてすでに面白そうな匂いがぷんぷんしてきます。人類にとっての脅威がウイルスとか全力で襲ってくる狂人とかではなく、ノロノロとした動きのゾンビというのが、「もし自分がこの世界に生きていたら」と想像した際に、どうにか逃げ回れそうな気がする点がいいですよね。
政府も都市機能も麻痺した世界で、ゾンビ軍団との追いかけっこをするなんて、こんなに夢と希望の満ち溢れた設定の映画はそうそうあるものじゃないです。
さて。もともとゾンビという存在は、ブードゥー教で使われる、死にながらも仕事をするハメとなっている労働者の事で、人を襲ったり、とって食ったりしないものです。
それが、ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、そしてこの『ゾンビ』の影響で、ゾンビとは“人を食べ”、“伝染性があり”、“頭を破壊しない限り活動をやめないモンスター的存在”、というのが一般的となりました。
この映画以降、ヒットにあやかって大量のゾンビ映画が誕生しましたが、その全てがロメロゾンビの特徴を持つゾンビでした。たまに、ブードゥーみたいに、呪術で蘇るゾンビもいましたが、蘇った後は結局ロメロゾンビになってましたしね。
もう、ゾンビの定義すらも完全に変えてしまった映画なんです。そしてこれ以降、ゾンビも吸血鬼やら狼男などのホラー・モンスターの新たなスターとして仲間入りを果たす事となりました。おめでとう、ゾンビ!
そんな、ゾンビ映画史的にも貴重な映画なわけですが、なぜそこまでの影響力がこの映画にあるのかと言うと、色々と理由はあると思いますが、最大の理由は、映画としての出来が他の凡百のホラーとは一線を画すものだったからでしょうね。
私は、ホラー映画史を語れるほどホラー映画に詳しくはないですが、少なくとも、私がこの映画を見る以前に見て来たホラー映画の中で、ただ見た人を怖がらせるだけではなく、メッセージ性の持ったホラーなど一本もありませんでした。
この映画、ただ終末世界を舞台としたサバイバルを描いているだけではなく、そのストーリーには社会批判や深いメッセージ性の含まれた映画なんです。
死してもなお、ショッピングモールに集まってくるゾンビ達。それは、生前の習性からくる行動でした。そう、何も考えずにショッピングセンターに消費という娯楽を求めにやってくる我々は、生きながらにしてゾンビと化してるようなものなんです。
と、いうような事を暗に語ってるらしいですね。個人的には、「そうなのかなぁ?」といったところなんですが(笑)。私がこの『ゾンビ』の世界でゾンビ化したら、多分、映画館の辺りをウロウロしてる事になると思うんですが、それが何か悪いのかと。でも、ロメロはそういう事を言ってるんじゃないような気もする。
まあ、この辺の事は、後でホラー関連の書籍を見て知った情報であって、私が最初に『ゾンビ』を見て驚いたのはまた別の点です。
それは、「真に怖いのはゾンビではなく、人間だった」というラストの展開です。
主人公達は、苦労してショッピングセンター内のゾンビを一掃し、ようやく安住の地を手に入れたわけですよ。そこに行き着くまでには仲間の死(&ゾンビ化)など色々あったものです。
その平和を破ったのは、本来敵であるはずのゾンビではなく、バイクに乗った略奪者達なんですよね。死んだ人間が襲ってくるのは怖い事態ですが、それよりももっと恐ろしくて厄介なのが、本来助け合わなくてはならないはずの仲間であるところの、生きた人間とは、まさに何という皮肉なんでしょう。
最終的な恐怖の対象が、怪物やお化けではなく、人間だというこの映画のストーリーは、それまでに見たことの無いものだった為に、それは衝撃を受けたものでした。もう、見ながら「なんて事だ!」と叫びそうになってしまいましたね。
でも、実は前作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のラストも、最終的に主人公の脅威となったのはゾンビではなく、人間だったんですよね。まあ、私が『ゾンビ』を初めて見た時はまだ『ナイト・オブ〜』を見てなかったですからね。
この映画が凄いのは、ただテーマ性を持ったホラーだからというだけでなく、そんな事を特に考えなくても面白く見られる所ですよ。
主人公達がSWAT隊員という事で、ゾンビから逃げるだけでなく、攻撃をするシーンが出て来たりと、アクション映画的な面もあるんです。この映画の後にも前にも、ゾンビの大群が人々に襲いかかってくる映画はありましたが、そのほとんどは、登場人物は基本的にゾンビからは“逃げ”を選択していましたからね。
主人公の選択肢が「逃げ」だけじゃないせいか、ストーリーの幅もうんと広がって、「自分ならどうするだろう」など、あれやこれやと想像しながら見られるんですよね。
そんな、終末世界でのゾンビ相手のサバイバルを想像して楽しんだり、主人公達が、占拠したショッピングセンターの中で、自由に遊んだり買い物したりする様を見て「羨ましいなぁ」と思ったりして楽しむ事ができます。特に、全消費者の夢を映像化した「無人のショッピングセンターで買い物し放題シーン」は良かったですね。
その前の、「いかにショッピングセンターをゾンビから奪還し、占拠するか」の一連の作戦行動も見てて面白かったです。ただ、途中で悲しい事故も起きてしまいますが・・・。
この際の「ゾンビを狩る」という行動。これはどうも人を狂わすものがあるみたいですね。本能が目覚めてしまうんでしょうか。主人公達がショッピングセンターにたどり着く前のシーンでも、嬉しそうにゾンビを撃ち殺してる連中の姿が映されてましたしね。
仲間のSWAT隊員のロジャーも、ゾンビを狩っているうちに次第に冷静さを欠いていくようになり(まるで狂気に取り憑かれたかのように)、油断した隙にゾンビに噛まれるハメとなってしまいます。それも、もともとそういうポカをやらかしそうな人物として描かれていたという訳でもないんですよね。むしろ、仲間内のムードメーカー的立場な人物でした。それだけに、見てる方にとってもショックな展開でしたね。
さて。ホラー映画と言えば、残酷シーンが見せ場となるわけですが、ホラー映画界のカリスマメイクアップアーチスト、トム・サビーニを迎えたこの映画の残酷描写は「人間が生きたままゾンビに食われる」という恐ろしいシーンをハッキリと映してきました。
基本的には、『13金』レベルの残酷シーン程度しかない映画ですが、最後の最後になって、「生きたまま内蔵を取り出される」といったグロ爆発シーンが登場します。いわゆる、「臓物モード」と呼ばれるシーンですね(呼ばれてない)。
普通は、よほどの物好きじゃない限り、こんなの好き好んで見る人はいません。私も出来る事なら見たくありませんでした。こんなシーンが出ると分かってたせいで、この名作映画を見るのが大分遅くなってしまったものです。
で、意を決して見てみたわけですが、その臓物モードが出てくるシーンというのがまた、主人公達がせっかく築き上げた平和の地を略奪者達が踏みにじってる場面なんです。略奪者達は、ゾンビが入ってこられないように設置した入り口のバリケードを破って入ってきたわけですが、そのせいでバリケードが無くなり、ゾンビ達も一緒に建物内になだれ込んで来てるんです。
本来ならゾンビが入って来たら困るところですが、これがまた驚く事に、この段階になったら、見ていてゾンビを応援してしまうんですよね。「そいつら(略奪者)を食ってしまえ!」と。で、期待通りにゾンビ達は略奪者を捕まえてはムシャムシャとやるわけですよ。
そんな状況だったせいか、警戒していた「臓物モード」にいざ突入した際にも、気持ち悪さよりも、むしろ悪党が酷い最期を迎えた事への喜びの方が大きかったりするんですよね。
最初に見た時、まさかラストにゾンビを応援する事になるとは思わなかったので、これも驚いた点でしたね。あらゆる面で私の想像を超える映画でした。
ちなみに、その略奪者のリーダー格をトム・サビーニが自ら演じていて、しかもゾンビに殺されてくれます(笑)。内蔵は出してなかったような気がしますが、自ら死にに出演するなんて、素晴らしい漢です(同じく特殊メイクを担当したホラー映画『マニアック』でも、狂人に頭を吹っ飛ばされる役で出てましたね)。
このように、奥深い優れたストーリー、ハイレベルな残酷描写を備えたこの映画。ゾンビ映画の範疇だけでなく、ホラー映画の中でも間違いなく最強レベルの映画です。
恐らく私にとって、この映画を越えるゾンビ映画及びホラー映画は一生出ないような気がしますね。多分、ロメロが新たなゾンビ映画を撮ったとしても、この『ゾンビ』の衝撃を越えるのは無理だと思います。何しろ、もはや私の中で完全に“神格化”されちゃってますからね(笑)。
この映画を見て以来、約1年から2年に渡り、定期的に夢にゾンビが出てくるようになりました。それぐらいの衝撃を受けましたからね、この映画には。
(バージョン違いについて)
珍しい事に、この映画には3種類のバージョンがリリースされています。基本的には、カットされたシーンが有ったり無かったりといった程度のもので、「エンディングが違う」とか「展開が違う」といった大きな変化があるわけではありません。
まず、最も古くからリリースされていた『アメリカ公開版』(127分)。ビデオ版は、特に〇〇版などの標記の無い、ただの『ゾンビ』というタイトルになっています。
そして、90年代になって彗星のごとく登場した『ディレクターズ・カット完全版』(139分)と『ダリオ・アルジェント監修版』(115分)の3種類です。
この映画、製作にイタリアンホラーの大物ダリオ・アルジェントが関わっていて、この人が資金を集めたがために、ロメロもこんな大作を撮る事が出来たようです。
で、アメリカ(北米)以外の国で公開されたバージョンが、アルジェントが最終的に手を加えた『アルジェント版』で、本国のアメリカで公開されたバージョンが、完全にロメロの手によって仕上げられた『アメリカ公開版』です。
『完全版』は、削除したシーンを後からビデオ会社の意向で付け足したものらしいので、ロメロの考えが100%反映されてるのは『アメリカ公開版』と言われてるようですね。
この3種類、結局どう違うのかと言うと、要するに、一番時間の短い『アルジェント版』は、緩やかなシーンをカットした“テンポ重視版”で、一番長い『完全版』はテンポが悪くて長い代わりに、ドラマをしっかり描いた、“ドラマ重視版”。『アメリカ公開版』はその中間といった感じです。
ちなみに、『アルジェント版』は、『サスペリア』『フェノミナ』等アルジェント監督作の音楽を担当したイタリアのロックグループ“ゴブリン”の音楽が多く使われていて、ことスコアに関しても最もノリがいいです。
ファンにとっては、それぞれ好きなバージョンというのがありますが、普通の人は基本的にはどれをとっても一緒だと思います。
個人的には、最初に見たのが『完全版』だったせいか、このバージョンが一番好きですが、お勧めは『アメリカ公開版』か『アルジェント版』ですね。『完全版』は何しろ長いうえに、中盤かなり失速してるので、見る時の体調によっては、下手したら途中で寝かねないと思います。