監督・脚本:ルチオ・フルチ
出演:クラウディオ・アリオッティ(マーク)
マリー・サリエ(セリーヌ)
ジェシカ・ムーア(マリア)
セバスチャン・ハリソン(ジャン)
アラン・ジョンソン(ポール)
テレサ・ラザウティ(アニー)
ロベルト・エイゴン(ナチスのウィリー)
(感想)
上のあらすじがやたら意味不明ですけど、実際、そんな映画でした。
旅行中の若者達が立ち寄った屋敷で怪現象が起こる、というおおまかなストーリーはよくあるものですが、それをここまで意味不明な映画にしてしまうとは、さすがフルチと言うほかないですね。
まず、冒頭10分近く使って乱交パーティシーンを描写してくる段階からしてかなり手ごわい映画である事を予感させてくれます。
パンツ一枚の女が半狂乱で踊りだしたかと思うと、爆撃機が飛ぶ映像(多分、どここから持ってきた資料映像)が唐突且つ乱暴に挿入されたりします。
このシークエンスのラストは、爆撃機が爆弾を落とす映像と、ビリヤード台に裸で横たわる女の股間めがけて、アホそうな男が棒でもってボールを打ち込むという映像が交互に出て来たと思ったら、画面が真っ暗になって、コントのオチで使われるようなショボイ爆破が起こる、という形で終了します。
これは多分、爆撃機がこの館に爆弾を落とした、という事を言いたいんでしょうね。ちなみに、この乱交パーティをしてる連中は、館に掲げられてる旗や着ている軍服から、ナチスの面々である事が伺えます。
ともかく、爆弾を落とされて中で乱行パーティを開いていた軍人達と娼婦達が全員死亡。怨霊となってこの地に住み着いていたところ、頭の悪そうな若者達がやってきたので驚かせてやろうと企んだ、というストーリーのようです。
その驚かせ方が洒落ていて、男だったら「半裸の女が出てきて誘惑する」というもので、女だったら「半裸で寝てる所を、軍服を着崩した兵士が出てきて誘惑する」というものです。また、レズの女だったら、やっぱり「半裸の女が出てきて誘惑する」という方向に行きます。どのパターンにしろ“半裸の女”は必ず出てくるというこのオッパイ度の高さ。
本来、この手の映画では若者達が次々に死んでいくものですが、この映画では一人しか死にません。フルチ監督作にしては珍しく、エロは十分でもグロが全然足りない状況です。汚い死体を出すのにもいい加減飽きてきたんでしょうか。
ですが、その唯一死んだ奴の死体が、時間が経つにつれてどんどんグチュグチュしてくる事となります。たった一人でグロを担当している、この死体の孤軍奮闘ぶりには「頑張れ!死体!」と声援を送りたくなりますね。
さて、怖いんだかエロいんだか分からないこの館のゴースト・ストーリーは、あるフィルムを発見した事で佳境に突入していきます。
これは、映画の冒頭の乱行パーティシーンで、その模様を兵士の一人がフィルムに収めていたものです。有無を言わせず、「このフィルムに謎を解く手掛かりがあるに違いない」いう展開になって、みんなでポルノ鑑賞がおっ始まります。このめくるめくフルチワールドには、さすがの私もついていけませんでしたね。映画においてきぼりを食らったような、寂しい感じがしたものでした。
さらに、兵士の幽霊が地下から上がってくるという状況となり、みんなでドアにバリケードを築いて入ってこられないようにします。
冒頭では乱行シーンと爆撃機の飛行シーンが交互に映されましたが、今度は映写される乱行シーンとドアを破ろうとする幽霊達のシーンが交互に映されます。そして、ついにバリケードが破られた!となったところで、冒頭と同様、しょぼい爆破が起こってエピローグに突入します。
エピローグでは、若者達全員、館の外で気絶をしていて、館は戦時中の爆撃によって残骸しか残って無い、という状態で出てきます。
そう、若者達が見ていたのは全て幻覚だったんです。一人でグロを頑張っていた死体君も、実は死んではいませんでした。こいつが死んだのも幻覚だったんです。
この点について、「良かった」とか「ガッカリ」とか本来なら思うところですが、何だかもうどうでもよくなってきます(笑)。
って言うか、もしかしたら、この映画のビデオ自体が幻覚だったんじゃないのかと思えてきますね。むしろ、幻覚であってくれ。もう、この映画を見た事自体、忘れてしまいたい(でも、ビデオを返却するのを忘れると大変な事になるぞ)。
とりあえず言える事は、「フルチ恐るべし」という事ですな。いったい、何を考えてこんな映画を作ったんだろう。