と言う訳で、勝負に挑むつもりでこの映画に臨んだのですが、いやぁ、見事に完敗してしまいました。このラストの展開は、見てる途中にいくつか挙げていた候補のどれにも入ってませんでしたからね。
ただ、その結末を見ても、あまり「騙された」とは思えなかったんですよね。むしろ、「こんなの分かるか!」みたいな。完全に負け惜しみですけど、「推理不可能じゃないのか」と思ったものでした。
でも、見終わってから思い起こしてみると、確かにヒントは出ていたんですよね。そこから全てを予想なり推理なり出来たかもしれないと思えるようなヒントが。
真犯人の動機とか、事に及ぶ事となったタイミングとかも、よくよく考えると納得出来るんです。突拍子も無いと思えたラストですが、実はきちんとどんでん返っていたのかもしれません。いやぁ、悔しいなぁ。
ただ、負け惜しみなのを承知で、一つどうしても納得のいかない点を挙げさせてもらいます。それは、“ウソをついていた人を演じてる俳優の演技”です。
演じてる俳優がウソをつく演技がうまいのは分かります。演じるのが仕事の人なんですからね。でも、演じてる役の人物が、同じように完璧にウソを演じられる演技力があるのか、という点に引っかかるものを感じてしまうんです。本当にコイツがウソを演じているのなら、あの場面であんな真実味のある演技が出来るものなのかと。役柄がベテラン俳優ならまだしも。
こっちは登場人物の表情とかも考慮に入れながらラスト予想をしてるんですから、この点をもっと考えて映画を作って欲しいと思いますね。
ちなみに、『ローグ・アサシン』はこの点もしっかりクリアしていて、ある俳優のある場面のちょっとした表情から、真相(と言うか、正体)に観客が気づけるようになっていたんです。
アクション映画でこれが出来て、サスペンス映画で出来ていないというのは納得のいかないところですが、まあ、何だかんだで、ラスト予想に関してはそれなりに楽しむ事が出来たんで、良かったんじゃないでしょうか。
でも、もう真相を知ってしまった今、本編のストーリー自体が個人的にあまり面白くないものだったんで、もうこの映画を見る機会はほとんど無いかもしれないですねぇ。
主人公がおでぶというのも、この映画の面白くも珍しい点です。で、このデブのヒロインが、自分の体型にコンプレックスを持ってるような所を全く見せないんです。笑顔で歌いまくりの踊りまくり。見てて暑苦しく思う時もあったりするんですが、でも、このヒロインの底なしの明るさを見てると、例え一般的に身体的コンプレックスに挙げられるような所を持っていようと、自信を持って生きていると、それが“個性”になってくるというのが感じられるんです。
私のような、コンプレックスが固まって人の形を成しているみたいな生物にとっては、多少勇気付けられる映画ではありました。
でもやっぱり、でぶがノリノリで踊っている様は、どうしても「見苦しい」と思ってしまうのが正直なところです。さらに、このヒロインは多分、ダンスがある程度上手い設定だと思うんです。そうじゃないと説明のつかないようなサクセスストーリーっぷりを見せてくるんですから。でも、見てて(あくまでも素人目ですが)あんまりダンスが上手いとは思えない動きなんですよね。確かにノリはいいんですが。
分かる人が見たら、結構難しいダンスをしていたりするらしいんですけど、一緒に、素人目にも凄い動きをしてるのが分かる黒人が踊ってたりするんで、もはや「ただノリがいいだけのデブ」にしか見えませんでした。
なので、登場人物の皆さんと違って、私はこのヒロインにあまり魅力を感じなかったんですが、でも、中盤以降、なぜか驚くほど出番が減って、ほぼ脇役と化していくという謎の展開を見ていて、ふと、あの威勢よく歌い踊るでぶがいない(と言うか、陰が薄くなった)事に、妙な寂しさを感じてしまったんですよね。やっぱり、何だかんだ言って、強烈で印象的なキャラクターだったようです。
で、何で中盤以降ヒロインの影が薄くなるのかと言いますと、テーマが変わるからなんです(多分)。それまでの「コンプレックスも、自信を持って生きていると個性となる」というものから、「人種差別反対!」というテーマに変わり、さらに、今時珍しいぐらいにこのテーマを声高に謳ってくるんです。
私も差別は反対派ですけど、ここまで主張されると逆に引いてしまいますね。何だか、「これがやりたいんなら、クイーン・ラティファを主人公にしたら良かったんじゃなかったのか」とか思ってしまいましたよ。
さらに、時々現れては、その風貌で笑いをとっていく役割かと思っていたトラボルタママの出番もかなり増えていくんですよね。あの風貌で登場シーン増やしたら主役食っちゃうじゃん(笑)。
それにしても、トラボルタママはかなり強烈でしたねぇ。しかも、台詞を言うだけじゃなく、歌まで披露しましたからね。夫役のクリストファー・ウォーケンとのデュエットは夢に出て来そうでした。そうそう、ウォーケン演じるお父さんも実にいいキャラクターでしたね。この一家の「幸せな家族」っぷりは実に微笑ましかったです。
ただ、ストーリーは結構面白いものでした。これはむしろ、それぞれの主演作群よりも凝っていたかもしれません。
謎の暗殺者役のジェットが、敵対する2つの組織の間を密かに行ったり来たりして、お互いを潰し合わせようと画策するという、『用心棒』に掠ってるようなストーリーですが、そこにジェットを親友の仇として追っている、FBI役のステイサムが絡む事となります。
ストーリーは中盤過ぎまでステイサム目線で語られ、謎の暗殺者ローグの思惑はストーリーが進むごとに徐々に分かっていく、という展開となります。ストーリーを追っていて、「段々謎が解けていく」というのが感じられる、面白い展開でした。
で、その敵対する組織というのが、チャイニーズマフィアとヤクザというアジアンテイストな連中です。ハリウッド映画にアジア風味が出てくるとテンションが下がるという欧米かぶれの私ですが、それぞれのボスが知った顔だったので、「まあ、いいか」と思うことは出来ました(何様だ・笑)。
ちなみに、ステイサムが日本語を喋る場面があるんですが、『キル・ビル』のユマ・サーマンレベルの、聞き取りづらいものでした(しかも台詞も変です)。日本語の台詞には字幕が付かない仕様になっているんで、結局、ステイサムが日本語で何を喋っているのか、半分ぐらいしか分かりませんでしたねぇ。
世間では「相変わらずの変な日本描写」と言われていますが、私は特に違和感とか無かったんですよね。何しろ、私はヤクザの世界にはとんとウトいですからね。『仁義なき戦い』とかも見てませんし。ヤクザに関しては、それこそ、アメリカの観客と同程度の知識しか無いと思います。なので、この映画で描かれるヤクザワールド(しかも、主に出て来るのはアメリカ在住のヤクザ)が事実と違うかどうかなんて分からないです。もしかしたら、この人達は本当に自宅の庭で真剣を振り回してチャンバラごっこに興じたりしてるのかもしれないじゃないですか。
この「間違った日本描写」から、イロモノ映画として楽しむという方法もあったようなんですが、私はもっぱら、普通のアクション映画として楽しんでしまいましたね。果たして、どっちがこの映画をより楽しんで見れたのか・・・。
ちなみに、満足度は本当は5点いってもいいぐらいのものだったんですが、エンドクレジットで音楽の差し替えが行われていてムカついたので、1点マイナスとなりました。
どうか、この世から「洋画の日本版テーマソング」が消えて無くなりますように・・・。神様ヘルプ!
一方、本当にブッシュが暗殺されて、その事件のドキュメンタリーが作られたとしても、ここまで突っ込んだ内容にはならなかっただろうなと思うような、フィクションならではの面白い所もありました。
特に暗殺の瞬間の状況はかなり迫力がありましたね。と言うか、この場面がこの映画の面白さのピークだったような気がします(笑)。各地の監視カメラに容疑者らしき人物たちの姿が映っているという映像も、サスペンス的な怖さと面白さがありました。
結局、劇中で一番面白かったシーンが、現職の大統領を勝手に使わなくても表現出来たシーンだというのは皮肉ですね。
さて。一部のアメリカ人が日本と中国の区別がついてないのと同様、私もこの映画の舞台のサウジとイラク等の中東の国々の区別がついてないので、この映画の社会派の面については語らないでおきます(勘違いや知ったかぶりな事を書いて笑われる恐れがあるので・笑)。
で、この映画の娯楽面に関してですが、主なストーリー展開は、「刑事がよその地、または異国の地で、その地方独特のルールに縛られながら捜査をする」という系統の映画とほとんど同じスタイルなんですよね。馴染みのある流れなんで、見易かったです。
FBIの捜査を手伝う(と言うか、監視する)役目を負ったサウジ警察だか軍の人だかと主人公との間で友情が芽生えてくるのも、セオリー通りですが、いい展開でした。
国同士では複雑な関係になってますが、個人同士ではこうして分かり合う事が出来るんですよね。まあ『超人ハルク』を見て正義を行使する警察に憧れるようになったという奴なので、「アメリカナイズされたサウジ人」ではあるんですが。
爆破テロの首謀者を見つけるのは相当大変な事だと思うんですが、これは何話もかけられるテレビシリーズではなく、2時間以内で全て解決しなくてはならない劇映画なので、あれよと言う間に証拠を見つけて、テロ首謀者に辿り着いてしまいます。現実的ではないのかもしれませんが、映画的には見てて爽快に感じられますね。「やっぱりFBIの捜査力はスゲぇぜ!」みたいな。娯楽映画ファンにとっては、社会問題をするどく抉っているとかよりも、「見てて楽しいか」の方が重要な問題ですからね。
で、終盤にはお待ちかねの大アクションシーンがあるんですが、これが、かなりの迫力と臨場感のある、ハイレベルなアクションシーンなんです。
『マイアミ・バイス』で“スーパー・リアル・アクション”を見せてきたマイケル・マンが製作に関わってるせいか、映像とか動きとかに並みのアクション映画以上のリアル感があるんです。
市街地での銃撃戦から、建物の中へと突入しての銃撃戦と続くんですが、外では敵がロケットランチャーをぶっ放してくるし、中ではとっ捕まった仲間が今にも処刑されそうになっていたりと、見ててかなり緊張させてくれます。映像のリアル感と相まって、相当な迫力を醸し出しているアクションシーンでした。
あと、各メンバーの銃撃戦の最中の動きがカッコいいんですよね。建物内での、銃を構えて警戒しながら進んでいく所とか、物陰から物陰へ仲間の援護の最中にサッと移動する所とか。この、いかにもプロっぽい動きには目を奪われますね。
ストーリーにもアクションにも見応えのあるレベルの高い映画だと思うんですが、一方で非常に困った点もありました。それは、画面が終始やたらと揺れまくっている、という点です。
アクションシーンで揺れるのはたまに見ますけど、この映画では何でもない普通の会話シーンでも常に揺れてるんです。
手持ちカメラによる臨場感を出してみた的な作戦だと思うんですが、正直、中盤ぐらいで本気で酔ってしまいましたよ。いい加減「画面を揺らせば臨場感が出せる神話」は崩壊してくれないですかね。見づらいだけだよ。
地下墓地というより、地下迷宮(ダンジョン)の様相を呈していて、そこに主人公の女が迷い込む事となります。
まず、「真っ暗な地下墓地迷宮に一人で迷い込んでしまった」という状況が怖いです。ライトは持ってるんですが、もし、それが消えたら光の全く無い状態になるんですからね。「砂漠や森で迷子」並みに酷い状況です。
さらに、このダンジョンには、何と“謎の殺人鬼”なんてのがウロついていたりします。この謎の殺人鬼の襲撃を加える事で、『ジェリー』みたいに「地味に彷徨う」だけではない恐ろしさが加味される事となる予定なわけですが、あまり、見てて「怖い」と思うような所が無いんですよね。
それは、素人の私が言うのもなんですが、撮影がヘタクソなんですよ。多分、臨場感とか混乱した状況を映像で表現しようとしてるんだと思いますが、ここぞというシーンで画面が超絶に揺れるんです。
加えて、地下の暗さを演出するためか、照明が暗めで(本当に真っ暗になる時もありますし)、画面で何が起こってるのかが分からないんですよね。
確かに、その時、主人公も何が起こってるのか分からないという状況ですよ。だから、観客にも、その時の主人公と同じ感覚を味わせようと思っての事なんでしょう。
でも、観客は“現場の空気”は全く感じられないんですから、主人公と同じ恐怖を味わうのは不可能なんですよね。
これが小説なら、主人公の心理を描写して、その時の怖さを想像させる事が出来ますけど、それは映画では無理な話です。なら、それに代わるものとして、視覚的な面で怖さを実感させてくれるように演出するのがホラー映画としてあってほしい姿だと思うんですが、こうして「画面で何が起こってるのか見てて分からない」という演出をされると、もう何も感じられないじゃないいですか。
私も、ある程度は想像力で補いましたけど、世には、そんな必要もなく、怖さを味わせてくれる作品もあるわけですから、この映画にももっとがんばって欲しかったなと思うわけです。
あと、ラストに衝撃的なオチが待っていたんですが、これも正直、どうかと思いましたね。まず、「そんなアホな」と思ったんですが、これはすぐにフラッシュバックで「こんなに前半に伏線を張っていたんですよ」というのが出てくるんで、「じゃあ、しょうがないか」と思えました。でも、それよりももっと厄介な事があるんです。このオチだと完全に一発ネタになってしまって、2回目以降の鑑賞時に面白さが激減するという爆弾を抱えてるんですよ。
衝撃的なオチを出したい場合、『シックス・センス』みたいに「真相を知った後と知る前で違う面白さがある」というふうになるのがいいと思うんですが、どうやらこの映画のプロデューサーなり監督なりと私では、映画に対する考え方が違うようでしたね。