ノウイング(ネタバレ感想)

10年前の隕石系映画とか、それ以降の数多の世界規模パニック映画でも、“全人類滅亡”というところまでは行きませんでした。でも、それをこの映画ではやってのけてしまったわけですよ。まるで、タブーに敢然と立ち向かったかのようで、その勇気には拍手を贈りたいぐらいですね。私はハッピーエンドの方が好きですけど、ここまで徹底してれば、バッドエンドでも逆に清々しいです。

それにしても、太陽がちょっと気紛れを起こしただけで地球が滅亡してしまうというのは恐ろしい話です。でも、序盤でも触れられていましたが、地球が生命の存在する惑星として存在しているのも、たまたま太陽との距離がちょうどよかったからという、ほんのちょっとの偶然のうえで成り立ってるものでしかないんですよね。
たまたま誕生したものであるなら、たまたま終わってしまうのもしょうがないのかな、なんて事も思ってしまいます。
さて。これだけでは「全ての事は“偶然”である」という事になりますが、予言の数列の存在から、「全ては“運命”として、予め決まっている」という可能性も出てくるわけですよ。確か『スラムドッグ$ミリオネア』も運命に関して語っていましたね。結局、人間なんて、運命という何だか分からない大きなものの中でひっそりと生きてるに過ぎないのかもしれないですねぇ。こういうのも何か壮大な感じがしていいですけど、でも、「運命は自分で切り開く」的な話の方が、見終わった後に「頑張ろう!」という気分になれていいんですけどね。
で、その予言の数列は、宇宙人が送り出す電波を、限られた“選ばれた人”が脳で受信する事で書く事が出来る、みたいな感じだったんですけど、と言う事は、この宇宙人には地球上で起こる災害を予知する能力があるという事なんでしょう。
では、何故それを止めてくれないのかと思うんですけど、もしかしたら、「分かる」だけで、止める事は宇宙人にも出来ないんじゃないんだろうか。何故なら、この映画の世界では、全ての事は運命のようなもので決まっているという可能性があるからです。
例えば、ニコラスが2番目の災害を止めようとニューヨークの地下鉄に行った際、ニコラスの介入により、命が助かった人がいましたし、逆に、本来違う場所にいたはずの警官が地下に降りていたり列車に乗ったりしていました。
なので、予言の数列と比べて多少は死亡者数が変化してるはずなんですけど、そういう話が全く出てこなかったんですよね。そこで犠牲者の人数の増減があれば、「予言は変える事が出来る」という事の根拠になってくるんで、重要な所だと思うんです。それがスルーされたという事は、きっと死亡者数に変化が無かったという事なんでしょう。と言う事は、決められた運命は誰にも変える事は出来ないという事ですよ。
ただ、その運命によると、“全人類”が滅亡する事になっていたのですが、宇宙人の助けにより、何人か地球から連れ出された人がいました。描写されるのはニコラスの息子と、予言の数列を書いた人の孫の2人だけですけど、宇宙船は何隻も飛んでいたんで、きっと、各地に数人づつ「選ばれた人」というのがいたんでしょう。
で、新たな星で新たな文明を築くチャンスを与えられたわけですけど、もしかしたら、これが、「運命は絶対ではない」という事を表しているのかもしれませんね。圧倒的科学力があれば、多少は運命に逆らうことが出来るのかもしれない、と(結局、ほとんど無理という事か・笑)。

ところで、これまでネット上で色んな映画の感想を見ていて気付いたんですが、どうも「最後に宇宙人が出てくる映画」というのは評判が悪いようです。この映画も、最終的には宇宙人がやってきてどうにかなるという、いわゆる「宇宙人オチ」で締められてしまいました。で、それを見ながら「ああ、この映画はきっとネット上で叩かれるぞ」と思ったものでした。
でも、こういうオチの映画を頭から否定せずに、「このストーリーで、何を表そうとしているのか」という所を考えてみてはどうだろうと思うんですよね。「宇宙人が出たから頭の悪い映画」ではなく、「この宇宙人は何を象徴していて、そこからどういうテーマを読み取ればいいのだろう」みたいな事を考察したうえで批判を始めて欲しいと思います。まあ、映画によっては、そういう深い意味もなく、「ただクールだから」という理由で宇宙人が登場するケースもあったりするんでしょうけどね。
では、この映画の宇宙人は何を象徴しているのか。というのを考えてみると、どうやら、「人知を超えた大きな何か」、要するに、“神”っぽいんですよね。神や宗教を肯定するような思想は宇宙人オチと同程度の“叩き易さ”がありますからねぇ。こりゃ、この映画を弁護するのは無理だわ(笑)。もう「深く考えずに、終末映画として楽しんでください」と言うしかないですねぇ。
でも、時々書いているように、私は宗教というものに対してかなり否定的な立場をとっているんですが、この映画のラストは、特に問題なく受け入れられたんですよね。多分、「太陽の活動」みたいな、人間の力ではどうする事も出来ないような大事を前にした時、唯一、人類を守ってくれそうだと思えるのが“神の力”だからなんでしょうかね。本来なら全人類が絶滅していた所、神の代理とも言える存在の宇宙人が、数人の選ばれた人を別の星に連れて行ってくれたわけですし。まあ、結局私みたいなのはそういう時には決して選ばれはしないんですけどね。
でも、いざという時、最後の最後に出てくるのは、やっぱり「神頼み」になりそうな気もするんですよね。何だかんだ言っても、人類は神のような「人知を超えた大きな存在」を欲しているんじゃないか、という現実に目を向けさせようという映画だったのかもしれないですね。


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