ともかく、映画自体は、興味深くて面白いストーリーで、満足させてもらえました。
「世の中の色々なものに“23”という数字が隠れている」という話ですが、ズバリ23が出てくるだけではなく、“32”が出てきたり(逆にすると“23”)、足したり割ったりすると23になったりと、相当強引です。
でも、確かに強引な手は使っているものの、次々と“23”という数字が出てくるのは中々面白いものです。ちょっとしたゲーム感覚ですね。「23を探せゲーム」みたいな。
少なくとも、人生を狂わされるほどのめり込むような発見ではないはずなんですが、主人公は本当に狂ったように23に取り憑かれていってしまうんです。で、「ほら、こんなところにも23が!」と説明をするんですが、そこにも例の強引な手法で導き出された23が多く混じっているので、説得力が全然無いんです。
傍から見たら偶然だったり強引過ぎだったりで、特に驚きも無い事なのに、主人公にとってはもう偶然以上の何かに思えてしょうがないわけです。
この主人公の盲信っぷりは、見てて結構怖かったですね。「もし知人がこうなってしまったらどうしよう」と思うとゾッとします。別に23の数字に限らずとも、突如として何かに取り憑かれてしまうという事は十分に有り得る話ですからね。
このストーリーの面白い所は、その23の数字について主人公が知るきっかけとなった本の存在です。この本に書かれてる主人公と、読んでるジム・キャリーの過去に、共通点が多々あるんです。
例えば、現実の出来事を予言してる本だとか、誰も知るはずの無い事が書かれた本とか、こういうのが出てくる話は好きなんですよね。神秘的な感じがありますし、「どんな謎があるんだろう」と興味を持たせてくれます。
で、本を読み進める内、本の主人公はどんどん“23”に取り憑かれておかしくなっていきます。そして、それと同時に、読んでるジムの23に対する興味も偏執度を増していくんです。
本の主人公は、最初、ある女から23の事を聞かされ、当初は気にも留めてなかったはずなのに、次第に取り憑かれていく事となりました。このように、人から人、もしくは、本のキャラクターから現実の人へと伝染していく魔力のようなものがあるようなんです。何だか、“呪い”が広がっていってるようで、ゾッとする展開でしたね。
ストーリーは段々と深刻さを増していって、ついに家族を巻き込んでの「謎の解明」へと向かい、そしてクライマックスで明かされる衝撃の事実!今回、特にラストの予想とかしないで見ていたので、素直に驚けました(ラスト予想をしながら見てても、多分、読めなかったと思いますが・笑)。それに、ただ捻っただけの展開ではなく、個人的には納得のいく展開だったのは良かったです。
そして、最後まで「結局、23とはなんなのか」が分からないという所もいいですね。確かに、至る所から23が出てきましたけど(強引に導き出したのも含めて)、「だから、何なの?」という疑問には一切答えが出ないんです。「どうも、縁起のよくない数字らしい」という程度のものでしかないんですよね。
「誰が本を書いたのか」とか、他の謎には全て答えが用意されているんですが、一番大きな謎の答えが出ないんです。この辺りは気に入らなく思う人も多いでしょうけど、私はこういうの好きですね。“謎”は、答えが出てしまえばもう謎ではなくなってしまいますが、答えが出なければ、ずっと謎のままですからね。映画を見終わってから、友人と(もしくは一人で)「23を探そうゲーム」をやる場合も、23の意味が謎のままの方が面白いと思いますしね。
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さて。隣人が殺人鬼ではないかと疑いを持って、どうにか証拠を掴みたいと思うわけですが、主人公は家から出る事が出来ないので、隣人の情報は窓から見える範囲内のものしか得られません。
さらに、「犯人目線のシーン」というのも出てこないので、観客にも「その隣人は本当に殺人鬼なのか」が分からないんです。なので、ラストで「実は何もやましい事をやってない、善良な隣人でした!」という衝撃のオチが待っていたらどうしようとヒヤヒヤしてしまいました。まさにスリル満点のサスペンス・ストーリー!
こうなると、窓際で人を殺してる姿とか、決定的瞬間を目撃しない限りどうしようもないんですが、結局、最後まで、決定的な瞬間を「覗き見る」事はありませんでした。やはり、これが「覗きの限界」というやつなのか。
と言うわけで、自由に外を移動できる友人を使って、隣人の行動を見張らせたり、家に侵入させたりという、さらなる奥義(別名、犯罪)を行使して謎解きをする事となります。
このように、かなり倫理的に問題のある行動を主人公がとりまくるストーリーなんですよね。そもそも、謹慎処分を食らう理由が、「教師をぶん殴ったから」というバイオレンスなものです。しかも、この時のパンチが超スピードでビックリしましたね。全く構えてもいない状態から、教師の顔面を殴りぬけるまで1秒かかってなかったんじゃないかと思います。まさにマッハ・パンチ。
このように、この主人公は確かに問題児ではあります。でも、決して嫌な人間というわけではなくて、むしろ、憎めないキャラという感じなんですよね。
それに何より、「目の前で父親を事故で亡くしている」という過去があるので、時に暴走する事があっても、同情の目で見てしまえるんです。
この事故の場面は冒頭で出てくるんですが、直前まで「いかに仲の良い親子なのか」というのを描いていた後、唐突に事故のシーンが来るんで、結構ショッキングなオープニングでした。
でも、これが何の為に必要なシーンだったのか、最初はよく分からなかったんですよね。前半は、ボンクラ高校生が覗きに走るという、他愛ない展開なのに、何故、あんなに深刻なシーンを頭に持ってきていたのかと。
でも、どうやら、後の主人公の行動に対して観客が不快感を持たない為に入れられていたようですね。これがあるのとないのとでは、主人公に対する感情移入度が変わってきたと思います。
これで、本来は倫理に反する行為であるけど、誰もが一度はやってみたいと思っているに違いない「覗き」という行為を、主人公の目を通して観客も一緒に楽しむ事が出来るというわけですよ。ああ、やっぱりこの映画のメインは覗きという行為そのもので、謎解きはおまけなんだな(笑)。
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そんな映画ですが、実は中身はロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のリメイクです。著作権が切れたか何かで、もう誰でも好き勝手にリメイクを作っていいんだとか。なので、この映画も当然ロメロに何の断りも入れてません。
ロメロ信者として、本来ならこんな映画は存在自体許せないという思いが出てもいいはずなんですが、実は私はこういうバッタ物臭プンプンの胡散臭いゾンビ映画は大好きなんです。むしろ、真面目にリスペクトしてる映画よりも好感が持てるぐらいですね。
もう、全編に渡って、素敵なくだらなさが満載で、私のような新しいゾンビ映画ファンに「クズゾンビ映画を映画館で見る楽しみ」というのをプレゼントしてもらえました(しかも、見たのが本来割高な料金をとられるプレミアスクリーンだったというのも笑えます)。
何せ、3Dですからね。ゾンビ映画を3Dで作ろうとしてるという時点でイロモノ映画確定みたいなものですよ。きっと、監督及び製作者には、「オリジナルを超えてやろう」みたいな無駄な意気込みは全く無かったんでしょうね。ただ「『ナイト・オブ〜』を勝手にリメイクできる」というのに飛びついただけで。
で、もちろんオリジナルを超えられるわけがないんで、「ではB級魂に溢れた、毎度バカバカしい一品に仕上げて、観客を喜ばせてあげよう」と、そんな意図すら感じられるようです。なので、劇中に散見される突込みどころの数々は敢えて入れられてるのではと思いますね。
さて。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と言えば、過去にもう一本、トム・サビーニによるリメイクがありました(もちろん、こちらは正統なリメイク)。
で、そのロメロ版とサビーニ版とでストーリーに多少の違いがありましたが、果たして今回の3D版はどっちを元にしているのか?というのが気になっていたんですが、基本的には両方を元にしていたようですね。今こういう映画に関わってるような人は、きっと両作を何回も見てるようなゾンビ映画ファンだったりするんでしょう。
ですが、ただの組み合わせではなく、無許可なのをいいことに、結構大幅な改造が加えられていました。
登場人物の設定も、名前は同じながら、過去作とは「面影を残す別人」みたいな感じになっています。特に、ベンなんて黒人じゃなくなりましたからね。また、新キャラも2名増えまして、そのうちの一方のシド・ヘイグ演じる葬儀屋はストーリーにも絡む大きな役どころです。
そして、ヒロインのバーバラが最初に逃げ込むのが火葬場という『ナイト・オブ〜』初登場の建物だったり、終盤にメイン舞台の家屋から徒歩で逃走する事になったり。
こういった変更点が出てくるのは、見てて結構楽しかったですね。どことなく『弟切草』の3,4回目のプレイみたいな感じがあって(知ってる人にしか通じない例えで申し訳ないんですが・笑)。始まりは一緒なのに、前見た時は無かった選択肢が登場して、一本道かと思われたストーリーに細かい分岐が出来る、みたいな。
多分、観客が過去の2作を見ているという事が前提として作られているんでしょうね。この変更点によって、ストーリーが良くなったなんて事は全く無いんですけど、「馴染みの展開からずれていく」というのは、他の映画では味わえない面白い感覚です。その辺りを狙った展開なんだろうな、と見てて思ったものでした。
あと、劇中で登場人物が、テレビで『ナイト・オブ〜』のオリジナルを見てるというのもシャレてましたね。多分、この登場人物が見てる白黒映画が何の映画なのかを知ってる観客と知らない観客では、このシーンに対する印象が全く違うものになるんでしょうね。
結局、一番の見せ場であるはずの3D映像は、ほとんど飛び出して見えないうえに、たまに飛び出して見えるのが出てきても、それがゾンビではなく、煙やガラス片、はたまたクレジットの文字だったりと、「そんなのを見に来たんじゃねぇ!」というような物ばかりです。
でも、私は元々『スパイキッズ3D』で、この赤青メガネ式の3Dの限界というものを経験していたので、最初から「飛び出し」に関しては何の期待もしていませんでした。それよりも、「ゾンビ映画を3Dで作った」という事と、「それが映画館で公開された」という事実があるだけで十分満足でしたね。
シリーズお馴染みの不快極まりないショックシーンは今回も気合が入っていて、オープニングから、ノーモザイク、ノーカットの人体解剖シーンが飛び出す始末です。頭を切り、脳を取り出し、腹を切り、胃を取り出し、といった様子をバッチリ、「これでもか!」とばかりに描写してくるんです。まあ、生きた人間の解剖シーンではないだけマシだったと思わなくてはいけないのかもしれないですね(このシリーズなら出しかねないシーンだし・笑)。
メインのストーリーでは、「連続殺人鬼ジグソウは、いかにして誕生したのか」というのが語られてきます。だいたい、ホラーシリーズにおいて、「殺人鬼の過去」が語られる時は、ネタが切れかけているサインみたいなものなんですが(笑)、ほんと、今回は何の新味も無い内容でしたねぇ。『2』ではトラップ、『3』では拷問と、一応シリーズごとに多少の個性がこれまではあったんですが。「今度は集大成だ!」みたいな雰囲気を狙ったんでしょうか。
一方で、「ジグソウは死んだはずなのに、一体誰がゲームを続けているのか!?」という謎があるストーリーなんですが、見終わってみると「ここまでしてシリーズを続けたいのか」と驚くやら呆れるやらの犯人の正体ですよ。
でも、今回で完全にネタは出し尽くした感があるんで、次回作がどうなるのかちょっと楽しみです。どんな強引な手段を用いてシリーズを継続させるのか、それとも、諦めて「完結編!」と銘打ってくるのか(笑)。
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上にも書いたように、“新種のドラッグ”とやらで、常人以上のパワーとスピードを持った奴らが敵なんですが、その動きや外見など、どことなくヴァンパイアを連想させるものでした。で、軍の精鋭部隊を次々と瞬殺していったりするんです。手首に取り付けるタイプのナイフのような刃物を主な武器として使っていて、ちょうどこれが、ヴァンパイアの爪攻撃みたいな感じなんですよね。
こんな化け物みたいな奴らと、“常人以上”どころじゃない戦闘力を持った魔人セガールが対決するんですよ。「対決すると思わせて、ほとんど拳を合わせない」なんて肩透かしな事もしてきません。そもそも、敵と対峙した際、セガールは装備していたごっつい銃火器をわざわざ仲間に渡して、接近戦での対決を挑んだりしてましたからね。
ちなみに、終盤、セガールにも敵が使ってるのと同タイプの武器が渡される事となります。何でも「使用者のスピードによって威力が増す武器」だとか何とか。およそ「セガールに持たせてはいけない兵器(敵にとっては)」ですね。
では、その化け物と魔人の対決はどんな結果となるのか。ネタバレですが敢えて書いてしまいます。と言うか、この結果以外は有り得ないぐらいなんですけど(笑)、もちろん、セガールの圧勝です!万歳!
思えば、『沈黙の追撃』でクリーチャーと戦う予定だったのが急遽中止となり(代わりにゲイリー・ダニエルズと戦う事になりましたね)、「セガールVS怪物」の大一番がおあずけとなってしまった事がありましたが、今回、その夢の対決が実現したわけですよ。いやぁ、感慨深いですなぁ。で、その結果が、期待通りのものだというのも最高です。もう、ほんと、あの恐るべきパワーを持った超人が、セガールに手も足も出ずにやられていってましたからね。素晴らしい。何だか、チャック・ノリスの『ヘルバウンド』の感動と興奮を思い出してしまいましたよ(あの映画では、復活した悪魔の化身みたいなのが、チャックに手も足も出ずにやられる姿が描かれてました)。
ああ、これで監督が「普通レベル」程度の力量のある人だったなら、どんなに素晴らしい映画になっていたんだろう。今更言ってもどうしようもないんですが・・・。
もう、この人、本当に才能無いと思いますよ。何が悪いって、ストーリーを語るのがメチャクチャ下手糞なんですよね。地味で退屈なうえに分かり辛いという、いい所が何一つ無い有様ですよ。
「地味な演出」なら『一撃』のレオン・ポーチも同じタイプでしたけど、あちらはストーリーをきちんと見せてくれましたし、アクションシーンもしっかりと撮ってくれました。
それに比べてコイツときたら、話と話の繋がりのシーンを平気で抜かして次のシーンに進めたりとかするし、どうでもいいようなシーンに時間を割いたりするしとで、もう、ストーリーを進ませるシーンが、とにかく見ててつまらないんです。つまらないだけならまだしも、催眠効果まで持ってるものだから、ストーリーを追うより、眠気を堪えるので手一杯になって、映画を楽しむどころの話じゃなくなるんですよね。
クライマックスのアクションも、普通のアクション映画の基準では、決して褒められたものではない有様なんですが、ここにくるまでずっと退屈な代物を見させられてきたんで、こんなのでも満足出来てしまえるんでしょうね。