ですが、さらに「監督や脚本家が、どういうテーマでこの物語を語っているのか」というところまで考察すると、「最後少女は死にましたが、空想力のおかげで幸せな気持ちで死んでいけました。こんな辛い現実世界からとっととおさらばしたわけです」みたいな、「ある意味ハッピーエンド」という解釈が出てきます。
で、私はこれがこの映画のラストの解釈の正解だと思うんです。安易なハッピーエンドでもバッドエンドでもない、ほろ苦く悲しげで余韻の残るラストだと。
ですが、私はハッピーエンドの方が好きです。最後に主人公が死んでしまうような「ある意味ハッピーエンド」なんて中途半端なのは認めたくありません。
なので、「どうにか、この映画のラストがハッピーエンドだったと思える方法は無いか」と色々と考えてみました。
まず、マンドレイクの根やチョークといった魔法のアイテムが出てきましたが、これらは確実に現実世界に存在してる物です(「本当に魔法のアイテムか」というのは別にして)。少女だけでなく、大尉も見たり触ったりしてましたからね。で、これがパンから渡されたのでなければ、一体、どこから見つけてきたのか、という疑問が出てくるんです。根なんかは森で拾ってきたかもしれませんが、チョークはそう簡単に手に入るものなんだろうかと。少女以外の誰かがチョークを使ってるシーンとかも無かったはずですし。
これは、「全て少女の妄想かと思わせといて、実は本当に魔法の国があった」という証拠にならないだろうか。ならないか。
ではもう一つ。中盤ぐらいだったか、少女が、お母さんのお腹の中の弟に向けて「一緒に王国に連れて行ってあげる」という約束をしたじゃないですか。にも関わらず、ラストは少女一人で王国に行ってるんです。これが妄想の話だったら、絶対弟も一緒に行ってるはずなんですよ。それが一人で行ったという事は、王国は本当に存在していて、試練をクリアした少女だけが王国に行けた、というわけで、ラストのナレーションも無視しないで済むわけですよ。
どうだ、これが正解だろう。そう、この映画、実はハッピーエンドだったんです。
ただし。何となくですけど、王国にいた女王様が、赤ん坊を抱いていたような気もするんですよね。しかも、映画を見てる時は気づかなかったんですけど、思い返してみると、この女王様とお母さんが似てたような気もするんですよね。もし同一人物が演じていて、しかも赤ん坊を抱いていたりしたら、もう反論の余地が無くなってしまうんですが(ハッピーエンドの可能性の希望は、後はチョークだけか・笑)。
・・・・・・あと、あの手の平に目がついてるクリーチャーですが、「いくら妄想とは言え、あんな超異形のデザインのモンスターを、年端もいかぬ少女が考え付くかどうか」というのは、、、説得力が無いか。
あと、普通に見れば、最後に生き残ったのはボーデンAの方だと思うんですけど、ここも、「本当はどっちが生き残ったんだ?」なんて事を思ってしまいました。何しろ、Bにはマジックの技術が無いのではと思っていたので、刑務所の中で看守に足枷を嵌めるというマジックを使っていた所や、アンジャーの日誌を読んでいたりした点などから、ムショに入ってたのがAという可能性が頭の中に出てきてしまったんですよね。まあおかげで混乱する混乱する(そうなると、最初にアンジャーの瞬間移動を見に行ったのが、トリックを見破る能力が無いと思っていたBの方になるわけですしね)。
でも、そもそもの発端はボーデンAが結び方をしくじってアンジャーの奥さんを死なせてしまったという点なので、最後に処刑されるのがAの方が物語的にはスッキリ行くんですけどね。
それにしても、アンジャーの奥さんの事故死の件でボーデンは罪に問われもしなかったし、ボーデンを銃撃して指を吹っ飛ばしたアンジャーも逮捕すらされませんでした。なのに、なんで「水槽の前に立っていた」というだけで、ボーデンがアンジャーの殺害容疑で逮捕され、しかも死刑にまでされたのかが分からないですね。当時は警察の捜査や裁判のシステムが杜撰だったというだけの話なんだろうか。
「ボーデンが二人いる」という点は予想出来たものの、こういった「謎な点」が数多く噴出してしまったので、「オチを読んでやったぜ」的な快感があまり無かったですねぇ(笑)。この映画に勝ったと思ったら、実は負けていた、みたいな感じでしょうか。う〜む、悔しい!だいたい、ボーデンが二人いるという前提で物語を追っていたのに分からなかったんですからねぇ。果たして、今回出て来た謎は2回目を見て解けるものなのだろうか。